「ただバイクで走るだけでは、もう満足できない」
そう感じることはありませんか。
若い頃のように、ただスピードを求めたり、がむしゃらに距離を稼ぐツーリングは卒業した。今の私たちが求めているのは、エンジンの鼓動とともに「知的な満足感」を得られる時間ではないでしょうか。
群馬県と長野県の県境に位置する「碓氷峠(うすいとうげ)」。ここには、明治時代の土木技術の粋を集めた重要文化財「めがね橋(碓氷第三橋梁)」が静かに佇んでいます。
今回は、単なる峠道としてではなく、明治の先人たちが挑んだ「歴史の道」として碓氷峠をご紹介します。184のカーブを安全に楽しみ、煉瓦造りの巨大アーチに圧倒され、名物の釜めしで腹を満たす。そんな「失敗のない、大人のツーリング」への招待状です。
なぜ今、大人のライダーに「碓氷峠」なのか
週末の貴重な時間とガソリン代を使って出かける以上、そこには明確な「行く理由」が欲しいものです。特に、ご家族の手前、ただの「遊び」ではなく「教養を深める旅」であるという側面は、意外と重要なポイントではないでしょうか。

碓氷峠、特に「めがね橋」を目指す旅には、大人の知的好奇心を刺激する要素が詰まっています。
- 明治の産業革命を肌で感じる:およそ130年前に造られた200万個以上の煉瓦。その圧倒的な質量は、写真で見るのと実物を見るのとでは迫力が違います。
- 「アプト式」という技術への敬意:急勾配を克服するために採用された鉄道技術の歴史は、メカニズム好きのライダーの琴線に触れるはずです。
- 適度なワインディング:旧道(国道18号)は、信号がほとんどなく、緑の中を自分のペースで流せる良質なツーリングルートです。
「綺麗な景色だった」という感想だけでなく、「あそこは、かつて蒸気機関車が歯車を噛み合わせて登った場所なんだ」と語れるようになる。それが、このツーリングの最大の価値です。
明治の傑作「めがね橋」の歴史を紐解く
現地に到着してから案内板を読むのも良いですが、事前に歴史的背景を頭に入れておくことで、現地での感動は何倍にも膨らみます。ここでは、愛車を降りて見上げる「めがね橋」が、なぜこれほどまでに人々を惹きつけるのか、その論理的な理由を解説します。

66.7パーミルの激坂との戦い
碓氷峠は、古くから交通の難所として知られていました。明治時代、東京と新潟方面を結ぶ信越本線を建設する際、最大の壁となったのがこの峠の急勾配です。
その勾配は「66.7パーミル」。これは、1,000メートル進むごとに66.7メートル登るという、鉄道としては常識外れの急坂です。通常の車輪の摩擦だけでは、列車は坂を登ることができず、下り坂ではブレーキが効かずに暴走してしまいます。
そこで採用されたのが、ドイツの山岳鉄道で実用化されていた「アプト式」でした。線路の真ん中に歯形のレール(ラックレール)を敷き、機関車の床下に設けた歯車(ピニオン)を噛み合わせて、一歩一歩踏みしめるように進む方式です。
バイクのギアをローに入れて、急坂をエンジンブレーキで下る感覚に近いかもしれません。滑り落ちそうな坂道を、物理的な「噛み合わせ」で克服しようとした明治人の執念が、この場所にあります。

200万個の煉瓦とイギリス人技師
1892年(明治25年)に完成した碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」は、このアプト式鉄道を通すために建設されました。
- 長さ:91メートル
- 高さ:31メートル
- 使用された煉瓦:約200万個以上
設計に携わったのは、イギリス人技師のパウナルと、日本人の古川晴一です。彼らは「芸術と技術の融合」を目指しました。単なる鉄橋ではなく、あえて煉瓦アーチを選んだことで、100年以上経った今も周囲の自然と調和する美しい景観が残されたのです。

1963年(昭和38年)に新しい線路が開通して廃線となるまで、この橋は日本の物流と人の移動を支え続けました。そして1993年、その歴史的価値が認められ、国の重要文化財に指定されています。
現在、橋の上は遊歩道「アプトの道」として整備されており、歩いて渡ることができます。バイクで橋の下まで行き、そこから徒歩で橋の上に立つ。かつて蒸気機関車が吐き出した煙の匂いを想像しながら、関東平野を見渡す体験は、まさに大人の休日にふさわしいものです。
失敗しない「旧道(国道18号)」の走り方と注意点
歴史的背景を理解したところで、次はライダーとして最も気になる「走り」と「安全性」についてです。碓氷峠には、カーブの少ないバイパスと、カーブの多い旧道があります。めがね橋があるのは「旧道」の方です。
「184個のカーブ」という謳い文句を聞くと、「走り屋」のような激しい道を想像して身構えてしまうかもしれません。しかし、大人のライダーが安全に楽しむためのポイントを押さえれば、決して怖い道ではありません。

184のカーブを「攻めず」に「流す」
旧道のカーブには、一つひとつ番号が振られた看板が立っています。長野県側の軽井沢から群馬県側の坂本宿まで、合計184箇所です。
この道の最大の特徴は、**「道幅がそれほど広くない」ことと、「ブラインドコーナーが多い」**ことです。
- 路面状況:全線舗装されていますが、山間部のため、季節によっては落ち葉や砂が浮いている箇所があります。特に秋の紅葉シーズンは美しい反面、濡れた落ち葉が非常に滑りやすくなります。
- 対向車:観光地であるため、普段山道を走り慣れていないサンデードライバーの車も多く通ります。センターラインを割って対向してくる車がいる可能性を常に考慮し、キープレフトを徹底してください。
おすすめの走り方は、ギアを2速か3速に固定し、アクセルワークだけでリズミカルにクリアしていく方法です。無理にバンク角を深める必要はありません。木漏れ日の中を、エンジンの回転数を一定に保ちながら流すように走る。これだけで十分に「操る楽しさ」を感じられます。

【重要】めがね橋の駐車場問題
バイクで行く際、もっとも注意していただきたいのが「駐車場所」です。
めがね橋が見えてくると、その迫力に圧倒され、思わず橋の真下にあるスペースにバイクを停めて写真を撮りたくなるかもしれません。しかし、橋の真下やカーブの途中への駐停車は非常に危険であり、交通の妨げになります。
正しい駐車場は、めがね橋から軽井沢方面(登り方向)へ約300メートル進んだ先にあります。「めがね橋駐車場(第5トンネル手前)」という公的な無料駐車場です。
- 距離:徒歩で約4〜5分戻ることになりますが、遊歩道が整備されています。
- 安全性:駐車場は平坦で舗装されており、重量のある大型バイクやハーレーでも安心してスタンドを掛けられます。
「少し歩くのが面倒だ」と思って路肩に停め、愛車が転倒したり、当て逃げされたりしては、せっかくの休日が台無しです。「安全を買う」という意味でも、必ず正規の駐車場を利用しましょう。そこから歩いて橋へ向かうアプローチも、徐々に橋が大きくなっていく高揚感を味わえる素晴らしい時間です。

野生動物との遭遇リスク
碓氷峠周辺は、野生の猿が多く生息しています。道路上に群れで座っていることも珍しくありません。
もし猿に遭遇しても、以下の点を守ってください。
- 目を合わせない:威嚇されたと勘違いして襲ってくることがあります。
- 食べ物を見せない:タンクバッグの隙間などにお菓子が見えていると危険です。
- 静かに通過する:無駄な空吹かしやクラクションは刺激するだけです。
「自然の中にお邪魔している」という謙虚な気持ちで通過しましょう。
旅の締めくくりは「峠の釜めし」で
知的な刺激と心地よい疲労感を得た後は、胃袋も満たしましょう。碓氷峠に来てこれを食べずに帰ることは、論理的に考えて「損失」と言えます。
「おぎのや」が変えた駅弁の常識
横川駅前にある「おぎのや本店」、または国道沿いの「横川店」で味わえる『峠の釜めし』。
1958年(昭和33年)、当時の駅弁は「冷たいもの」が常識でした。しかし、「お客様に温かい食事を提供したい」という想いから、保温性に優れた益子焼の土釜を採用したのがこの釜めしの始まりです。
薄味の出汁で炊かれた茶飯の上に、鶏肉、椎茸、ゴボウ、筍、ウズラの卵、栗、杏子などが美しく並べられています。それぞれの具材が主張しすぎず、しかし確かな存在感を放ち、一つの釜の中で調和している様は、まさに完成された「食の小宇宙」です。

バイク乗りへの配慮
国道18号沿いの「おぎのや横川店」は、広大な駐車場を備えています。
- 駐輪環境:アスファルト舗装で平坦。サイドスタンドが埋まる心配もありません。
- 監視の目:人の出入りが多いため、盗難やいたずらのリスクも比較的低いです。
店内にはイートインスペースがあり、温かいお茶と一緒に釜めしをいただけます。持ち帰って家で食べるのも良いですが、ツーリングの途中で食べる温かいご飯は、冷えた体に染み渡る格別の美味しさです。

ちなみに、食べ終わった空き釜は持ち帰ることができます。自宅で一合炊きのご飯を炊いたり、小物入れにしたりするのも一興ですが、荷物になる場合は店内の回収ボックスへ戻すことも可能です。こういった合理的なシステムも、バイク乗りには嬉しいポイントです。
推奨ルートプラン:東京方面からの日帰りコース
最後に、効率よく、かつ安全に楽しむためのモデルコースをご提案します。
- 上信越自動車道「松井田妙義IC」で降りる
- 高速道路を一気に走り、体力を温存します。
- 国道18号(旧道)へ入る
- バイパスではなく「旧道」の標識に従ってください。
- めがね橋駐車場へ
- 橋を通り過ぎて300m先の駐車場へバイクを停めます。
- 徒歩で橋へ戻り、橋上の遊歩道を散策(所要時間:約30〜40分)。
- そのまま軽井沢方面へ抜ける、またはUターン
- 体力に余裕があれば軽井沢のアウトレット周辺へ。
- 走り足りなければ、そのまま旧道を下ります(下りの方がカーブのRがきつく感じるため、より慎重に)。
- おぎのや横川店でランチ
- お土産もここで購入。
- 松井田妙義ICから帰路へ

季節の選び方
- 春〜初夏:新緑が美しく、最も走りやすい季節です。
- 秋(10月下旬〜11月上旬):紅葉が絶景ですが、交通量が増え、落ち葉のリスクがあります。
- 冬:路面凍結や積雪の恐れがあるため、バイクでの走行は避けるのが賢明です。
まとめ:後悔しない「大人のツーリング」とは
碓氷峠とめがね橋。そこにあるのは、単なる古い橋と曲がりくねった道だけではありません。
日本の近代化を支えた先人たちの「知恵と技術」、そしてそれを守り続けてきた「歴史の重み」があります。

アクセルを開ければ一瞬で通り過ぎてしまう景色も、その背景を知って走れば、かけがえのない体験に変わります。
「楽しかった」だけでなく、「良いものを観た」という納得感を持って帰路につく。
それこそが、今の私たちが求めている「大人のツーリング」の正体なのかもしれません。
今度の休日は、少しだけ速度を落として、明治の風を感じに碓氷峠へ出かけてみてはいかがでしょうか。

